「ら抜き言葉」は間違い?具体例付きで分かりやすく解説
Ryoです。
今回は、
「ら抜き言葉」は間違いなの?
これについて解説していこうと思います。
ら抜き言葉は正しい?正しくない?
結論、「ら抜き言葉」は現在の標準的な文法では正しくないとされる表現です。
例えば、
- 「食べられる」→「食べれる」
- 「見られる」→「見れる」
- 「来られる」→「来れる」
などが「ら抜き言葉」と呼ばれます。
しかし、「ら抜き言葉」は実際の会話では広く使われており、単純に間違った日本語だから使ってはいけないと言い切ることも出来ません。
そもそも「ら抜き言葉」とは?
「ら抜き言葉」とは、可能の意味を表す際に本来「られる」とするところから「ら」を抜いた言葉のことです。
例えば、
食べることが可能であるという意味を表す際、
食べる+られる
=食べられる
となります。
ところが、
食べる+(られるーら)
=食べる+れる
=食べれる
となり、「食べれる」という言い方をする人もいて、これが「ら抜き言葉」です。
同じような例として、以下のような表現が挙げられます。
| 本来の形 | ら抜き言葉 |
|---|---|
| 見られる | 見れる |
| 起きられる | 起きれる |
| 寝られる | 寝れる |
| 来られる | 来れる |
| 考えられる | 考えれる |
| 数えられる | 数えれる |
| 来られる | 来れる |
| 受けられる | 受けれる |
| 出られる | 出れる |
なぜ「ら抜き言葉」が使われるのか
「ら抜き言葉」が使われる理由として、誤解を防ぐためであることが考えられます。
例えば、「食べられる」という言葉には、実は複数の意味に捉えられます。
「私は魚を食べられる。」であれば、「魚を食べることができる」という可能の意味です。
一方、「お菓子を友達に食べられる。」という文であれば、「お菓子が友達によって食べられる」という受け身の意味になります。
つまり、「食べられる」という表現だけでは意味が分かりにくく、前後の文脈からどちらの意味を示しているのか解釈する必要があります。
そこで、「食べることが出来る」という可能の意味を「食べれる」と表すことで、受け身の「食べられる」と区別しやすくしているということです。
正しい形と「ら抜き言葉」の違い
では、正しい(ら抜き言葉でない)形と「ら抜き言葉」とでは、どのような違いがあるのでしょうか。
「食べられる」と「食べれる」
まずは、「食べられる」と「食べれる」を例に解説していきます。
どちらも元は「食べる」という動詞です。
例えば、「私は辛いものを食べられる。」という文章の場合、「食べられる」が表しているのは「私は辛い料理を食べることができる。」という可能の意味です。
一方、「私は辛い料理を食べれる。」とする人もいます。
これも意味は同じで「私は辛い料理を食べることができる。」という可能の意味を表しています。
ただし、標準的な文法では、「食べられる」が正しい形とされています。
「食べれる」は、会話などで耳にする方も多いかも知れませんが、作文や正式な文章などでは避けたほうがよい表現です。
「見られる」と「見れる」
続いて、「見られる」と「見れる」で考えてみましょう。
「見る」という動詞でも、先ほどの「食べる」と同じことが起こります。
例えば、「この動画は無料で見られます。」という文章です。
これは「この動画は無料で見ることが出来る」という可能の意味を表しています。
これを、「この動画は無料で見れます。」とするのが「ら抜き言葉」です。
日常会話では、「これって無料で見れる?」という言い方をする人も珍しくありません。
しかし、正式な文章では「見られる」と書くほうが適切です。
「来られる」と「来れる」
「来る」も分かりやすい例として挙げられます。
「来る」の可能の形は「来られる」です。
例えば、「明日は学校に来られますか?」という文章の場合、「明日は学校に来ることが出来ますか?」という可能の意味を表しています。
これを、「明日は学校に来れますか?」とするのが「ら抜き言葉」です。
日常会話ではよく聞く表現ですが、標準的な文法では「来られる」が基本です。
「ら抜き言葉」が便利な場合もある?
「ら抜き言葉」は文法的には正しくありませんが、単純に間違いだから存在してはいけないというものではありません。
例えば、「先生が食べられる」という文章を考えてみます。
この文章だけを見ると、「先生が何かを食べることが出来る」という可能の意味なのか、「先生が誰かによって食べられる」という受け身の意味なのか、分かりにくい場合があります。
ところが、「先生が食べれる」とすれば、「先生が何かを食べることが出来る」という可能の意味だと分かりやすくなります。
このように、「ら抜き言葉」は言葉を使う側にとっても、受け取る側にとっても意味を分かりやすくする働きがあります。
そのため、文法的に正しい表現は「られる」ということを理解した上で、日常会話などでは状況に応じて「ら抜き言葉」と使い分けが出来ると良いでしょう。
「ら抜き言葉」は全部の動詞で起こるわけではない
ここは少し重要です。
「ら抜き言葉」は、どんな動詞でも「ら」を抜けばいいわけではありません。
例えば、「読む」という動詞の可能の意味を表す形は「読める」です。
「書く」であれば「書ける」、「走る」は「走れる」になります。
これらには「ら」が入っていませんが、「ら抜き言葉」ではありません。
なぜなら、元から五段動詞+可能の「れる」という形になっているからです。
まとめ
「ら抜き言葉」とは、本来「られる」とするところから「ら」を抜いた表現のことです。
代表的なものには、
- 「食べられる」→「食べれる」
- 「見られる」→「見れる」
- 「来られる」→「来れる」
などが挙げられます。
現在の標準的な文法に従うのであれば、「食べられる」「見られる」「来られる」などが基本です。
そのため、作文やレポート、仕事で使う文章などには「ら抜き言葉」は避けたほうが無難です。
一方で、「ら抜き言葉」は実際の日常会話では広く使われています。
つまり、正しい文法ではないが、実際の日本語では広く使われていると考えると分かりやすいでしょう。
そのため、言葉は正しい文法を理解した上で、正しいか否だけでなく、場面に応じてどちらが適切な表現かを考えることも大切です。